NicoNico Blog

Journaling for myselfです。

太宰治の『人間失格』を読んで思ったこと

こんにちは。

 

今日は読んだ本を久しぶりにアウトプットします。

その本は芥川賞にも輝き、著書の自叙伝である人間失格

 

主人公の葉蔵が人間として失格だと感じるまでに至る告白小説になっています。

内容は太宰治本人が経験してきたこと、心の中で葛藤していること、苦悩したこと、現実で折り合いをつけられず、絶望した人生を著書の主観的感性から赤裸々に綴っています。

走れメロスや斜陽など代表的で友情や信念をモチーフにした短編小説がありますが、こと人間失格に限っては、本人が長年抱え込んでいた心の闇を気の赴くままに表現した作品と言われています。

 

著書を読んだ感想ですが、主人公の感性に共感する部分も多かったなという印象です。自閉気味の主人公は他者との関わりあいや外界の刺激に非常に恐怖し、道化することで関係を築き保つという特異な感覚の持ち主でした。

また主人公は純粋無垢でありつつも、主人公(太宰治)本人の気質や不器用な生き方から社会への見えない障害の多さと生きづらさを感じ、自虐し自暴自棄になってしまいます。

最終的に自己否定と自己の崩壊によって、社会に疑問を呈すというアプローチは当時の多くの悩める文学少年の心を鷲掴みにしたと言われています。

闇が深い作品で太宰治の思想や人生観が胸に迫ってくるので、非常に読み方に気を付けないといけない、ただ流し読みみたいな浅い読み方では決して本人の主張を理解できない、難しい文学作品だと感じました。

あまり僕自身文学に近くなかったため、登場人物の繊細な心理描写や時代・背景描写を汲み取り鮮明に心に絵を浮かび上がらせることは難しいのが実情です。

 

それでも、多くの人に読まれ、愛され(中には敬遠する人もいるでしょうが)人間失格は当人の魂の叫びだったのか、何を伝えたかったのだろうかと考えさせられずにはいられない古典だと思います。

 

最後の精神病等に入れられ、ああなってはダメよとある女性が放つ一言は、太宰治本人が同じように精神のなんとも形容し難い脆弱さに苦悩する青年に向けた言葉だったのではないでしょうか。

 

孤独は現代の人がより抱えやすい感情です。

作者の他者を愛すことがどういうことなのか、他者の気持ちが分からない、結局人間は孤独なのではないか、と感じさせる文調と構成は私たちが孤独とどう向き合い、自分の人生を生きていくのか感ぜずに入られないですね。

 

私のこの文章も伝えたい要点がわかりづらく(そもそも伝えたい点があるのか?)、上手くまとめられていない五月雨式な感想ですが、文学に親しみ、豊かな文章表現と語彙力、言語能力を身につけていきたいと思っています。

 

では、今日はこの辺りで。