アルジャーノンに花束を
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チャーリイ。
彼を変えた人はなんと愚かなのか。
チャーリイ。
なぜ彼はかのような人生を歩まねばならぬのか。
チャーリイ。
彼は翻弄された。
チャーリイ。
彼に問いたい。
彼の人生をどのように彼は捉えているのか。
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知的障害だった彼、チャーリー・ゴードンが科学の実験台として知能を高める手術を受け、経過観察をされるお話。
知能が発達して情緒がそれに伴い発達したが、暫くすると知能のみが退行衰退していく。
知能が高まるにつれて、なぜ昔友達からいつも笑われていたのか、
なぜ母親にぞんざいな扱いを受けていたのか、
なぜ昔とった良心からの行動が気持ち悪がられたり煙たがられたりしていくのか、
理解できるようになっていきます。
その過程で彼が感じる憤りのない苛立ちや不満、ある種の虚しさをこの本は投げかけます。
タイトルのアルジャーノンは、彼と同じホルモン注射と手術を受けたネズミ。
物語初期ではチャーリーはアルジャーノンと同じ迷路を解くテストを受けせさられます。
そんなアルジャーノンも時が経つとどんどん退行していきます。
最初は奇妙で解せない兆候だったのですが、知能が高まり研究者並みの知識と知性を持ったチャーリーは自ら、自身の受けた研究の欠陥を示す仮説を証明すべく残された短い時間を使って研究活動に明け暮れます。
そして導き出す結論になんとか折り合いをつけて受け入れようとする主人公の心の葛藤も読み取れます。
アルジャーノンはただのネズミではありません。花束を添えて優しく寄り添うチャーリーの心の温かさ。
彼の過程を経過観察という形で追体験するのは、ゲーテの若きウェルテルの悩みと同じ手法です。
正直このような本は個人的には読みづらさがあったりするのですが、
チャーリーのどのような物語で幕を閉じるのか気になって読み進めました。
最後の結末の後にも彼の人生は続いていく。
そこをあえて記さず、知能が戻った彼の新たな人生がどうなっていくかの想像は読者に委ねられています。
久しぶりに読んだ小説。
このようなお話を作ることができる小説家は偉大だなと思うものです。
太宰治の『人間失格』を読んで思ったこと
こんにちは。
今日は読んだ本を久しぶりにアウトプットします。
主人公の葉蔵が人間として失格だと感じるまでに至る告白小説になっています。
内容は太宰治本人が経験してきたこと、心の中で葛藤していること、苦悩したこと、現実で折り合いをつけられず、絶望した人生を著書の主観的感性から赤裸々に綴っています。
走れメロスや斜陽など代表的で友情や信念をモチーフにした短編小説がありますが、こと人間失格に限っては、本人が長年抱え込んでいた心の闇を気の赴くままに表現した作品と言われています。
著書を読んだ感想ですが、主人公の感性に共感する部分も多かったなという印象です。自閉気味の主人公は他者との関わりあいや外界の刺激に非常に恐怖し、道化することで関係を築き保つという特異な感覚の持ち主でした。
また主人公は純粋無垢でありつつも、主人公(太宰治)本人の気質や不器用な生き方から社会への見えない障害の多さと生きづらさを感じ、自虐し自暴自棄になってしまいます。
最終的に自己否定と自己の崩壊によって、社会に疑問を呈すというアプローチは当時の多くの悩める文学少年の心を鷲掴みにしたと言われています。
闇が深い作品で太宰治の思想や人生観が胸に迫ってくるので、非常に読み方に気を付けないといけない、ただ流し読みみたいな浅い読み方では決して本人の主張を理解できない、難しい文学作品だと感じました。
あまり僕自身文学に近くなかったため、登場人物の繊細な心理描写や時代・背景描写を汲み取り鮮明に心に絵を浮かび上がらせることは難しいのが実情です。
それでも、多くの人に読まれ、愛され(中には敬遠する人もいるでしょうが)人間失格は当人の魂の叫びだったのか、何を伝えたかったのだろうかと考えさせられずにはいられない古典だと思います。
最後の精神病等に入れられ、ああなってはダメよとある女性が放つ一言は、太宰治本人が同じように精神のなんとも形容し難い脆弱さに苦悩する青年に向けた言葉だったのではないでしょうか。
孤独は現代の人がより抱えやすい感情です。
作者の他者を愛すことがどういうことなのか、他者の気持ちが分からない、結局人間は孤独なのではないか、と感じさせる文調と構成は私たちが孤独とどう向き合い、自分の人生を生きていくのか感ぜずに入られないですね。
私のこの文章も伝えたい要点がわかりづらく(そもそも伝えたい点があるのか?)、上手くまとめられていない五月雨式な感想ですが、文学に親しみ、豊かな文章表現と語彙力、言語能力を身につけていきたいと思っています。
では、今日はこの辺りで。
免許合宿ー折り返し地点ー
こんばんは^^
ただいま山形県に免許合宿に来ており、昨日無事仮学科試験が終わり路上教習が始まったくらいです。
一週間の折り返し地点にいるので、残りあと少しなのですが、朝7時からの教習が全部で7回、夜も8時までがしばしばあるので1日1日がとても長くメンタル的にじわじわきてます。笑
とにかく学科はひたすら暗記で、ルール一式を頭にインストールしてる感がめっちゃありますね、、もっと効率よく吸収できるすべはないのか。
一方の実技は仮学科までが、例えると鳥が檻の中で飛ぶ練習をしてるようなもので、路上教習は初めて檻の外に解き放たれて自由に空を飛ぶようなものですね。
昨日運転しながら初めて楽しいって思えました。笑
改めて車ってすごいなって単純な感想しか出てきません。
モチベーションがかなり下がってきてるので、なんとか立て直したいですが、、、
どうしましょうか。筋トレか走るか、コンビニか。
選択肢はそれくらいしかないです汗
ウクレレを3月の大学卒業後に始めたいなって思ってましたが、合宿前に買ってから山形で練習して、山形の美しい山脈背景にDespacitoとか弾いたら優雅だし多分精神上いいんだろうなぁって思いました。若干の後悔ですね。
一人で参加して、3人部屋でルームシェアしてるんですが、合宿生活を通じて気持ちを明るく過ごすために大切なことは3つくらいありますね。当たり前のことですが、若干の不自由を経験して感じたことをせっかく授業の合間の時間もたっぷりあることなので、ここに記しておきます。
1.健康な食事と食事における選択肢
当たり前ですけど、食べたいものを食べれるってとても幸せなことだなって思いました。また食べたいものを自分で作れるなら食の時間は1日の中で楽しいものになりますね。
合宿所の食堂はカレーか麺か、定食か選べるんですが宿舎は当然毎日メニューが決まっており、食堂の定食と似通っているんで、おいしくないことはないんですが、気持ち的に厳しいものがありますね。その気分じゃないんだよなぁー、みたいな。笑
あと基本的に揚げ物が結構多いです。
エネルギー・活動の元は食事/栄養なので何を体に取り入れるかっていうのは精神的な健康、肉体的な健康両方にダイレクトに影響します。
特にそれを実感したのは仮学科に無事受かって友達と食べた海鮮居酒屋。ありとあらゆるメニューがうますぎて感激しまくりでした。
制約条件があるがゆえに、我慢の後の何かは最高の贅沢なんですね。
イチローがビールのCMで言ってたんですけど、「ビールに合うものは何?」ってインタビューで聞かれて、雰囲気とシチュエーションって答えたんですね。
1日ダラダラ過ごして飲むビールは全然おいしくないけど、1日頑張って何かを乗り切った後に飲むビールは格別だと。やっぱり生きていく上である程度の制約条件は必要で、それをいかにうまく賢く乗り越えていくかに尽きるんだなぁって思いました。
自由は不自由になり得ます。矛盾しているように感じるかもしれないですけど、肉体的、物理的な制約(=不自由)があるからこそ心は自由であるべきで、完全な肉体的、物理的自由(=何でも手に入る自由)があると、生きていく中で工夫しようとせず、どんどん心が年老いていきますよね。
イノベーションもいかにトレードオフを乗り越えるか、人間が進歩するのもいかに制約条件を超えていくか。
不自由さを自由に変える。またたとえ不自由でも心の中は豊かで自由な世界が広がっている。それが大切だと思ってます。
かなりずれましたが、、相変わらず適当に綴ってるだけなので悪しからず。
2. 仲間
やっぱり高めあえる仲間って意味での仲間と、単に笑顔でコミュニーケーションが取れる仲間(友達)って大事だなって思います。
何も面白い人とずっとつるんで笑うのが大事っていう意味で言ってるのではなく、話してて自然と笑顔になれる、そして元気になれる、そんな時間を1日の中である一定以上確保するってのは心の安定にもつながると思います。
教習合宿に来て明らかに会話が減ったので、(特に最初の三日はルームメイトがいなかったので)、また会話があるとしても教官と事務的な話や運転テクの話で、楽しい会話はあまりしてないんですね。そこで痛感しましたが、好きな仲間と楽しいって思える雑談って人をリラックスさせたり、気持ちを穏やかにする効果があるから心の健康を考える上でとても大切な要素だなってひしひし実感しました。
笑顔の回数と、ロジックじゃないエモーションの会話、これを増やすのは大事です!笑
ロジックの会話は仕事とか何かを分解したり組み立てるのが必要な時にすればいい。
基本どんなエモーションでいるかです。それに影響するのはコミュニーケーションと一緒にいる人です。シンプルですが、これまた教習で感じたことです。
3. 自分らしくいれる時間・もの
これも結構重要です。わかりやすく言うと趣味でしょうか。
お金を稼ぐため、人のためにするべきこと・できることとの区別で自分がやりたいことです。
これをやってると、人生のクオリティオブライフが上がります。
僕の場合、趣味はダンスとかジムで運動するとか好きな仲間とお酒飲みながらビリヤードとか動学的なものが多いので、毎日じっと勉強して運転してホテルに戻る生活は堪えてきます。笑
教習所によってはテニスコートとか卓球台があるとこもあるそうなのですが、(羨ましい。。。)今合宿で参加してるところは大量の漫画しかないです。
Wifiもちゃんと完備されてるんで、ここで知り合った友達とかはひたすら韓流ドラマ見て発散してるって言ってましたね。
僕も映画やアメリカのシリーズものを見るのは好きなんですけど、金曜の夜とか一週間の終わりにビールとスナックをつまみながら、ベッドの上に横になって見るのが好きなので←
ただコンテンツを消費するようにずっと見るっていうのは無理なんですね。。。(ゲームオブスローンズとプリズンブレイクは例外です)
これこそイチローのいう雰囲気とシチュエーションが大事な趣味なのかもしれません。
ってか考えてみると基本全部そうですよね。ダンスもそうだし、お酒もそうだし、仲間とビリヤードなんかもそうだし、私流の映画鑑賞もそうだし、何かを頑張った後に見るからこそ、そういった時間がより輝き出してくるんですね。
趣味の特徴として、
それをやってる間は周りのことを忘れて何かにフォーカスする、没頭できる
ということだと思います。
2つ目の仲間の話と被るんですけど、これこそどんな気持ちでいるかっていうのに大きく影響するコンポーネントだと思います。
僕の場合は疲れた時とかちょっと気持ちとか考えを整理したいときにブログを書くことが多いのですが、その時間は他のこと忘れて想いのまま綴っていますね。
趣味というか、単にそれをすることで自分に喜びをもたらしてくれるものは、おそらくみんな持っていると思います。
寝ることもそうだし、美味しいものを食べるものそう。
Youtube見てリラックスするのもまた然り。
要はガソリンと一緒なんですね。
悪いガスを抜いて新しくチャージできる。
そう考えると、1つ目の食べること、2つ目の仲間とコミュニケーション、3つ目の趣味はどれも共通してエネルギーをチャージする手段ですね。
何をすれば自分が元気になれるのか、客観的にその変数を探してみるのもいいかもしれません。
それが生きていく上で大事にしたい軸にも価値観にもなり得ると思うので。
ってことで最近やりたいなってことのリストにウクレレ以外で、プエルトリコの歌のDespacitoをマスターします、できればこの合宿中に。笑
スペイン語でラテン系のノリなのでかなり難しいですね。
ただ、それをウクレレで弾いてスペイン語で歌えたら超イケてますよね。
合宿後に統計検定も受験するので統計も勉強しつつ、今はKaggleの機械学習問題(コスタリカで財政支援が必要な家庭を特定するマルチプルクラシフィケーションの問題)もやっているので、ロジック(統計・プログラミング)とエモーション(友達と雑談、飯、Despacito)、この2つのバランスをとりながら、残り7日もがんばってみます。
おっ、何か免許の勉強やる気出てきたぞー。
HPAIR振り返り
2月15日から2月18日までハーバード大学で開催されるHPAIR -Harvard Project for Asia and Internaitonal Relationsという会議に参加してきたので、その振り返りも兼ねて自分をちょっと省みたいと思います。
- HPAIRとは??
- パネルディスカッション/セミナー
- プログラムの目玉:Impact Challenge
- 一番の収穫はネットワーキング!
- 印象に残ったこと
- 自分は何をやっていきたいのか(ビジョン)
- 現地の気候や参加費など
HPAIRとは??
HPAIRとはハーバード大学の学生が運営する学生、社会人経験数年のユースを中心とした最大規模の学生会議で、主にアジアパシフィック地域が直面する政治、社会、エネルギー・環境、経済問題などの社会課題をパネルディスカッション、セミナー、ケーススタディを通じて学んだり、多様な背景を持つ参加者間で意見交換しインスパイアする趣旨で開催されています。
当初は学生会議だと思ってたのですが、産業界でバリバリ活躍してる若手の参加者がいて、(ベンチャーキャピタリストなどの投資家、エンジニア、弁護士、アントレプレナー、国際機関で働く人やMicrosoftなどのITセクターで働いてるビジネスマンなど)多様な顔ぶれでした。参加者は300人で90ヶ国から集っており、イラクやパキスタン、カメルーンなど中東やアフリカからの参加者も多かったです。
学生でもマスターの方も多かった印象です。
夏ではアジア地域で開催され(去年はマレーシアクアラルンプール、今年の夏はカザフスタンでの開催予定)、冬はハーバード大で開催されます。またプログラム期間もアジア開催の方が1日長い5日のプログラムでフィールドトリップなども組み込まれているようです。
フライトのコストや滞在費用的にもアジア開催のHPAIRに参加する方がリーズナブルですが、ハーバードとMITに行ってみたい、ボストンの街を訪れたい、時間があればニューヨークにも行ってみたいってミーハーな気持ちで最初からいくなら冬の方のHPAIRに行こうと思ってました。
(*追記 期末考査が会議後にあったので観光なしの弾丸とんぼ返りでした。。。涙)
↓以下が2019年度のHPAIRのスケジュールです。
Conference Schedule – Harvard Project for Asian and International Relations
選べるトラックが次の6つで
Art Media & Culture
Energy & Enviromental Sustainability
Entrepreneurship & Technology
Global Markets & The Economy
Governance & Geopolitics
Social Policy & Justice
僕はEnergy & Enviromental Sustainabilityを選びました。
本当は機械学習を勉強しており今年の4月からそっち方面で働くので、Entrepreneurship & Technologyでも良かったのですが、最近環境問題に関心がある、また新しい分野をせっかくの機会だから広げてみたい、エネルギー問題や食糧供給・保障に機械学習をどのように応用する余地があるか探って見れれば尚良いって想いで選びました。
パネルディスカッション/セミナー
パネルディスカッションは初日はEnergy & Enviromental Sustainabilityに参加したのですが、二日目はテック系のトラックのパネルディスカッションが"Building The Future with Artificial Intelligence: Automating Tasks and Empowering Humanity"というテーマで自分のキャリアに関係あったのでEntrepreneurship & Technologyの方に参加しました。
ハーバードやMITの大学教授、産業界、スタートアップで活躍されてる方のディスカッションで学び多かったのですが、エネルギー・環境トラックのセミナーも印象に残りました。
セミナーの趣旨を説明するとフード産業の市場規模のうち約30%に値する200~300兆円もが生産過程の非効率で無駄にされているという状況をいかに改善するかのビジネス案(問題提起、対象 (市場規模)、解決策、比較優位性、ビジネスモデルなど)を25分で考えてベンチャーキャピタリストを想定して5分ピッチするというものでした。
技術者や科学者としていかに素晴らしいアイデアがあったとしても、それを伝えるコミュニケーション能力がなければ、"That's good idea. Good luck with your business"って言われて突き返され、始めることすらできないことが山のようにあるそうです。
サイエンスとビジネスのギャップを埋めるためのコミュニケーションのダイナミズムを感じるためのセミナーでとてもインターアクティブでした。
17,8人が4~5人の4チームに分かれて考えるのですが、バックグラウンドがChemical Engineer専攻のインドの学生、弁護士、ファイナンスの学生、ビジネスマンと僕というとてもユニークなチームでした。
インドの学生がアンモニアから肥料を生成するみたいなテクニカルなアイデアを話していて、僕としてはインド訛りの英語とその技術的な話を理解するのに精一杯で、とてもいかにビジネスとして可能性があるか、どの市場をターゲットにしてどのようなビジネスモデルにするのかの話まで持っていくことができず、とても難しかったです。
バックグラウンドの違うもの、特に国が異なり文化や価値観、コミュニケーションの取り方が違うもの同士が一緒にワークする難しさを肌で実感する初めての機会でした。
ピッチでの学びよりも、多様性のある多国籍チームで如何にシナジーを生み出していくかを考えるいいきっかけになりました。
プログラムの目玉:Impact Challenge
Impact Challengeは最終日に丸1日あり、これがプログラムの中で一番ヘビーでした。
趣旨としては、
1. 宇宙ビジネスでのスタートアップ案
2. どの新興国マーケットが一番魅力的かをベンチャーキャピタリストにピッチ
4.テクノロジーと保険会社を組み合わせて途上国の医療コストを減少させるビジネス案
5. グローバル企業のコンサルティング
上記の5つのテーマから一つ選んで、それぞれのテーマで与えられるケーススタディをこなし、そのアウトプットを7分間ピッチして起業家や産業界の方にジャッジしてもらうというプログラムです。
上記三つは完全お荷物になるのが目に見えてたので、4つ目のテーマを志望し、参加させていただきました。
チームはニュージランドで政策系を学ぶ学生、韓国の医療学生、インドのデータサイエンティストと僕の四人でした。
改めて言いますが、多様性ありありです。
さて、肝心のグループワークですが、やはりレベル高かったです。
ニュージランドの学生がファシリテーターとして議論の方向性を作り、話を幾度となく前に進めて意見をまとめてくれ、韓国の医療学生は最新の医療技術や途上国における医療コスト高の原因など、コアな意見を出し、インドの学生は施策の効果などのフェルミ推定してました。
韓国の学生はお父さんが医療業界で働いてるので、ディスカッション中に"Papa, I'm just working on 〇〇~ and we got some questions to ask ~"みたいな感じで電話も始めていました。笑
コンサル会社で働くならこんな感じなのかなぁ〜、かっこいいなぁってイメージしてました。
一方で僕はというと、議論であまり貢献できなかったですね。。。
みんなの議論を客観的に聞いて、その中でしっくりこないところを質問してこうした方がいいんじゃないかみたいなことを数回提示しただけで、チームの中では全くバリューを出せず申し訳ない気持ちでいっぱいでしたね。
結果的にコミュニケーション能力はやはり大事だなと思いました。
僕が意見を言っても、ロジカルに相手が納得するような言い回しで伝えることができなかったので、どれも見事に綺麗に反駁されました。
ニュージランドの学生はネイティブなので当然ですが言い回しやボキャブラリ、表現力が豊かなので、必然的に発言力は上がります。その中で僕としてはどのような役割を果たすべきなのか、将来のキャリアを考える上でもコミュニケーション能力は今から鍛えておきたいですね。
繰り返しますが、バックグラウンドも得意分野も異なる多様性のある中で、共通の目的意識を作り、如何にして個々のユニークさを統合したインパクトのあるアウトプットを出せるか。その過程でのコミュニケーション能力、チームビルディング、リーダーシップ力というのは、これからさらに多様性と創造力が強調される社会で重要な資質だなと強く感じました。
あとはリベラルアーツメジャーでこれといった専門分野はないので、僕の果たせる役割は何なのだろうかと、自分を客観視することもできました。
一番の収穫はネットワーキング!
HPAIRのプログラムの特徴は毎日1時間ネットワーキングの時間が取られていることです。
会場にはお菓子、フルーツやコーヒーなどが用意されていて、それをつまみながら、他の参加者に自分のやってること、ビジョン、今の目標などいろんなことを話して親睦を深めていきます。
90カ国から、しかも若いプロフェッショナルから学部生、修士、博士課程の学生までいろんなジャンルの方がいるので、新しい世界を広げる意味でも、HPAIRでコネクションを作る意義は非常に大きいです。
ただ正直言って、僕自身人見知りでガツガツ自分から話しに行けるガッツはあまりないので、最初はそわそわして落ち着かなかったです。
しかし、みんなとてもフレンドリーで明るく積極的に話しかけてくれたので、僕自身も最終日にはいろんな参加者と友達になることができ、最終的にはFBで友達100人弱くらい追加できました。(それでも3分の1いかない。汗)
彼らのポストや動向にはインスパイアされるし遠く離れていても繋がっているって感覚になります。
形は違えど、今それぞれがいるコミュニティや世界をより良い場所に変えていくっていう想いは同じで、その過程で個々の色が出るんだなぁって思います。そんな彼らの活躍をFacebookで知れるのはモチベーションに繋がる上に世界もまた広がるし、会議で一番の収穫だったかもしれません。
印象に残ったこと
参加者は総じてコミュニケーション能力が高かったなという印象です。
それを感じたのはHPAIRXというTed TalkをモチーフにしたHPAIRのプレゼンイベントとImpact Challengeでのピッチプレゼンでした。
HPAIRXでは事前選考に受かった会議の参加者が持ち時間20分使って自分の人生について語ります。
プレゼンターそれぞれにユニークな経験、苦労、感性が十二分に反映された立派なプレゼンでしたが、人の心を動かす表現力、そして言葉に納得感を持たせる語彙力と論理性はどのプレゼンターも共通して高いものを持っていました。
またImpact Challengeでも僕たちのチームがファイナリストに選ばれ、プレゼンしたのですが、やはり他のメンバーや他のチームのパブリックスピーキングはエネルギーに満ち溢れとても説得力のあるものでした。
このイベントを通じてコミュニケーション能力の定義を捉え直すようになったのですが、僕はコミュニケーションの中に重要な要素として主に3点あると思っています。
一つ目は人を動かすということ。
プレゼンの目的でもそうですが、最終的に人の心を動かし、実際にアクションに移させるかどうかがコミュニーケーションの一つのゴールでもあり、いいプレゼンかどうかの決め手でもあります。良い意思決定するために異なる意見を集約して価値を生み出す力も究極的には、何かするために必要な人を動かすことに繋がってきます。
二つ目は多様性から価値を生み出す力。
HPAIRに参加する前まではあまり意識しなかったのですが、これだけ多様性が叫ばれる社会で、自分と異なる人と距離を作るのは簡単だし、共通項の多い仲間といる方が居心地は圧倒的にいいです。
しかしそれではお互いの理解も進まないし、差異を理解し尊重しないようなコミュニーケーションが蔓延ると、無関心な社会を生み出してしまいます。
違い(ユニークネス)を理解し、それをうまく組み合わせて、コラボレーションすることで新たな価値を生み出す。その過程には自分の専門外の人と対話する力、全く畑違いの分野の人とでも、物事を深堀り専門家では知りえないような新たな視点を加えられると、世界はさらに広がっていくと思います。
SPACE Xを創業したイーロンマスクに関する好きな話があるのですが、彼は創業当初、全く宇宙に関する知識がなかったそうです。しかし、宇宙工学専門の社員を横につけて、あれこれずっと質問して吸収し続けた結果、3年後にはその人よりも深い知識を得るようになったという逸話があります。
つまり物事を深く知るための良い質問、また全体像をつかむためにそれぞれのピースを埋める質問をする力が重要なのかなと思いました。それができれば共通知識も有さない場合でも、コラボレーションできると信じています。
三つ目は、異なる利害を持つアクターが多くいる中で責任ある意思決定をする力。
この世の中には本当に向き合わないといけない問題がたくさんあります。しかし、複雑な利害が絡み、ジレンマ状況にあるために物事が前に進まない、解決の糸口が見えない問題も多々あります。
そのような多くのアクターが絡む状況で向き合うべき問題に対面し、対話を進めていく。最終的にアクターが納得する意思決定まで持っていくことができるかどうか。
国際交渉の場で求められる力だと勝手に想像していますが、この力はコニュミーケションの真髄だと思っています。
3のような場面はこの会議の中ではなかったのですが、会議で取り扱った社会問題はこの三つの要素を確実に含みます。
そういった複雑な問題を解決するために上記三つを達成できるコミュニケーターは本物のコミュニケーション能力を有してるんじゃないかなぁと思いました。
自分は何をやっていきたいのか(ビジョン)
HPAIRでは自分を客観的に見つめざるをえないです。
というのも、アカデミアの世界で自分のユニークさを育み、実社会でその人にしかなし得ないことに従事していたり、学生ならあることに問題意識を持って、それを解決するために〇〇を学んでいるって方に多くお会いできたからです。
ユニークさが明確で、自分の色をしっかり持っている参加者に囲まれて数日過ごすと、自分は何をやっていきたいのか、自分に喜びをもたらし、かつ他者の幸福にも貢献できることは何なのか、深く考えるようになります。
しかし、人生の目的意識やミッション、ビジョンなどは簡単に見つかるものでもなく、目の前のことをただひたむきに楽しくやっていくと同時に、新しい世界を絶えず探求していく中で、形成されるものだと思っています。
再来月4月からはデータ分析系の業務に従事するので、まずは自分のスペシャリティ、強みを磨いていきたいと思います。
Technology & EntrepreneurshipのAIに関するパネルディスカッション後にパネリストのMITの先生に質問する機会があったのですが、そこで「いいデータサイエンティストとはどのようなことを指すのか。またその資質は何か」(漠然としていますが、)自身のキャリアの参考にするために聞かせていただきました。
彼によると、「今はデータサイエンスはバズっているからエントリーポイントだけでいうと誰でもなれる。ただ、本当にインパクトを残そうと思ったら、一つのことに秀でてないといけない。他のことも少しは知っておくべきだが、自分はこれだというものをしっかり一つ持つこと。その上で大きなインパクトが残せる場所で働くことが大事だよ」といったようなお言葉をいただきました。
僕自身、データサイエンティストになりたいなといった漠然としたゴールしかなかったので、まずはデータサイエンスが取り扱う領域を大まかに知った上で、自分が情熱を持てる分野、また得意だと客観的に言い切れる分野でエッジを磨いていこうと思います。
現地の気候や参加費など
ここまで結構長くいろんなことは話しましたが、最後に将来参加するデリゲートにプラクティカルな情報を。
まずボストンの2月の気候ですが、夜は−7℃とかいき、とても凍えそうになりました。昼間は平均0℃、あったければ4~5℃くらいでした。
スーツの下にユニクロのウルトラスーパーライトダウンベストを着て、その上にこれまたユニクロのシームレスダウンパーカを着れたら寒さは感じなかったので、ユニクロである程度の防寒はできます。ただ足はスパッツ履いても寒かったです。
参加費はアーリーバードと普通に応募する2ラウンドあったのですが、早くアプライすると参加費は50ドル安くなります。(Early: $350 Regular: $400)
また奨学金のチャンスも早期選考のみあります。
僕は卒論で忙しかったので、早期選考を逃してしまい、しっかり400ドル払いました。
また現地のSIMカードに関してはハーバード大学の横にT-mobileショップがあったので、そこで購入したのですが、4Gどころか3G回線すらもキャッチできなかったので全く使えませんでした。。。(40ドル無駄になりました)
端末が悪いのか、何が原因かわかりませんが、携帯が使えないとウーバーも呼べないし、他のデリゲートと連絡とる手段もないので困りものです。キャンパスのWifiも使えますが、ゲストユーザーとしてログインすると1日しか使えなかったので要注意です。
出費は飛行機代 90000円、参加費 $430 (オプションでHPAIRTシャツも購入したため)、あとAirbnbで5日滞在して$150、プラスして夜ご飯は出ないので15万くらいは優に飛びます。
それくらい投資する価値は断然あると思います。むしろこの費用を上回る価値を生み出すかどうかはこれからの行動次第です。
インスパイアされいろんな仲間と繋がった。そして自分を客観視し、情熱とビジョンを模索し、ユニークさを磨いていこうと決意できた。これからの挑戦と努力次第でこのHPAIRを高いと捉えるか安いと捉えるかは皆さん次第です。
自分のクレジットカードも持てない貧しい国からきている参加者も中にはおり、彼らはスポンサーを探したり、クラウドファンディングで必死に資金集めしてきていたりしています。
またビザがおりなくて参加できなかったデリゲートも多くいました。
それを考えると、ビザを取得する必要もなく(僕はイランに行ったので取得しないといけなかったですが)資金的にもアルバイトちょっと頑張ればいけると思うので、観光もかねてハーバードで開催されるHPAIRに参加するのも全然ありだと思います。
(ただ時差には注意です。二日目のパネルディスカッションでは眠気がピークで正直やばかったです)
HPAIRの日本人のデリゲートは6人程度だったので、皆さんも機会があれば是非挑戦するべきです。
おそらく地域で参加枠が当てられているのかもしれませんが、ハーバードのHPAIRと僕の周りに言ってもまだまだ認知度は低いイメージなので、積極的に挑戦すれば意外と受かるかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
モチベ革命
※モチベーション革命を読んで、深夜テンションで思ったことをただ綴ってます。
幸せの価値観が昔と変わってきている。
好きな人と意味を見出して、何かに熱中する。
そのような生き方をしている人がキラキラしている今のご時世。
何か大きなことを達成したり、物質的な何かを手に入れた束の間の幸せはそう続かない。
どのような人生を生きたい?
何年後はどうしていたい?と聞かれても。
数年スパンで物事を捉えられるほどマクロな視点のメタ認知もできないから。
一ヶ月先くらいしか自分の姿は見えない。
でも、その自分すらなることができない。
一ヶ月も頑張ることはできないから。
なんでこんなに気持ちが浮かないのだろう。
やっぱり仲間がいないし、熱中もしないし、意味も創造できない。
じゃあどういうことに意味を見いだせるのだろうか。
その意味を見出しともに何かをする仲間は誰なのか、どこにいるのだろうか。
そして熱中するとはどういうことなのだろうか。
好きなこと、やりたいことに直感的に飛び込めずに、〇〇しないといけないからって、自分を騙して何かに追われてきた人だとおそらく同じように悩むんだろうと思う。
何が好きなのか。自分のケースで考えてみた。
多分芸術に触れたい欲が最近すごく出てきてる。特にウクレレ。
あとダンスを再開したいって想い。
ジム仲間と体を鍛えたいってのもあるかな。
あとは創造する行為をできるだけ増やしていきたい。建築、料理、自然の中でキャンプ、ムービーを作る、写真。
仕事としてエンジニアリングという行為が自分にとってベストなのか、わからない。
数学に全く触れてこなかった四年間。プログラミングもオンラインでやる程度。
先生やメンターの存在は大切だと思った。
力がないのに、力が必要なことをしようとするのは難しい。
帰宅部の中学生がフルマラソンを走るように言われてるようなものだ。
今の自分はまさにそんな状態。
帰宅部で家でゴロゴロ、Youtube三昧で仲間も熱意も人生に対する目的意識もない状態から、どうやってフルマラソンで生き生きと走るか。
まずフルマラソンを走る体にならないといけない。
タイムとかはいいからまず完走するということを覚えないといけない。
完走するには完走する体力が必要だ。
その体力はどのくらい必要か。
フルマラソンに必要な体力はわからない。
じゃあハーフマラソンならどうか?
それでもまだきつい。
じゃあ10kmくらいならいけるだろう。
いや最初にそれはきつすぎる。
多分6kmなら200m1分ペースで30分で走れる。
まずはそれを目指せばいいんじゃないか。
まず30分でどれくらい走れるか。
1日目は記録を図るために忍耐だ。
そこの記録からどれだけ理想と乖離があるか。
その理想はどれくらいの鍛錬でたどり着けるか。
まず1週間でいい。やってみよう。
その1週間の進度で、距離感と自分のスピード感がわかるはず。
1週間後に、次は10日後の目標を立ててみるとしよう。
それはギリギリ達成できるかできないか程度。
やってみる、振り返る、そして今度は2週間後。
それを見て振り返る。
さぁ、もう一ヶ月経った。
6kmはどれくらいで走れるだろう。
もし30分で走る体力があるのなら、ここで10kmに挑戦してみてもいいのかもしれない。
でもこの計画を遂行するには上記の三つの要素がいる。無理なら2つ。
仲間。意味。熱中。
仲間。これはジムに行って仲間を見つけるなどの方法がある。
現実的にお金がかかるから、社会人1年目は考えものだ。月5000円くらいの投資ならまぁいいのかもしれない。
意味づけ。なぜ10km走るのか。
これを見つけないと難しい。
大きなものである必要はない、苦しい時にそこに立ち返って踏ん張るような、進むべき指針を与えてくれるコンパスでないといけない。
なぜ10km走らないといけないのか。
ここでダメな意味づけは走らないといけないから走る、ということ。
それは答えになっていない。
集団心理が答えになっているときはあなたの声に耳を傾けていない。
苦しい時もすべての判断基準が集団、他者であり自分の軸ではない。
これを探すのがどうやら一番難しそうだ。
なぜ走るのか。
じゃあ走れるようになった自分はどんな自分か想像してみよう。
まず最初に普通に体力があるだろう。
帰宅部ではなく、中学の陸上部の練習についていけるくらいの力はあると言ってもいい。
次に継続する力。
毎朝走るとすれば、それはとてつもない小さな勇気と習慣力が要求される。
その力は他にも応用される。とても大切な力だ。
でもこれらの物理的、精神的な力を養い鍛えるために走るのか。
いや違う。その程度の意味は他の行為でも見いだせる。
走ることに特有の理由。走るという行為を突き動かす原動力。
意味づけはアップデートされるものだとまず考えよう。
大きな理想は持てない。小さな理想ならなんとか作れそうだ。
なんだろう。
走るのは、何かに向かいたいからだ。
模索したいからだ。
見つけたいからだ。
特徴として走るときにいろいろ考える。数学者の散歩のように。
それも答えの出ない普遍的な問いや哲学的な問いを立てる。
そこから深堀ながら走る。それはゆっくりの時だが。
早く走るときはなぜ早く走る。
単純にタイムを更新したいという自分との戦いか。
自分の限界を突破したい。殻を破りたい。
一番殻を破ったかどうかを測れる行為、それが走るということなのかもしれない。
昨日の自分に勝つ、人生の中では少し抽象度が増し、主観的にならざるをえないが、こと走るということに関してはそうでもないのかもしれない。
客観的なタイムがあるからだ。
よし、目的は定めた。
昨日の自分に勝つ、限界を突破する、また同時に走ることで何かを探求し見出したい。
最終的なゴールはまず30分6kmと10km走破だ。
熱中。
これはいかにいいリズムを作って意識状態から無意識状態に変えるか。
100マス計算をしているとき、バッティングをするとき、音楽に乗ってダンスするとき、外界をシャットダウンしてそのことしか目に入っていない、分散していない状態。
その状態になるには、自分の感覚を研ぎ澄まさないといけない。
その感覚を研ぎ澄ますにはやりたいことをやる、やりたいことを人を巻き込んで楽しくやる、主体的になる。
そうすれば、そうなる。
長くなった。帰宅部フルマラソンの例から深ぼったが、なんだか自分が走りたくなった。
やってみるのもアリかもしれない。
特に意味づけをはっきりさせたから。昨日の自分に客観的に勝つこと。
だけどランニングシューズが大学の体育館のロッカーにあるからまず取りに行かなくては。
仲間も大学の仲間を誘える。
熱意も走るという目標を達成する中での練習における日々の創造、主体性を生み出すことでフロー状態に入るよう頑張ってみる。
なんか、すごく蛇行した文章になったが、なんかシンプルにまとまった。
友達と卒業まで30分6kmという記録を達成するために、毎日昨日の自分の記録を更新する。そのプロセスを創意工夫して、主体的に走るランナー、主人公になる。
ゲームに勝てばいい。
ワクワクする自分の三つのパラメーター
最近ずっと思っていることですが、勉強にしても仕事にしても遊びにしても常にワクワクできることをしていたいっていう思いがあります。
こんなエピソードがあります。
現在通っている大学で経済学のものすごく素晴らしい教授がいるんですが、その雰囲気も語り口調もソフトで話を聞いてもらったり、講義を聞いていると、眠たくなるような、包み込まれるような先生なんですね。
怒ったことを大学4年間で一度も見たことがない、生き仏のような先生です。
そんな先生が、僕の知り合いの一個上の先輩を怒ったことがあるそうなんです。
おそらく将来のキャリアのことで相談していたそうなのですが、その先輩が先生の出すあらゆる案に「いやぁー、どうですかねぇー」って返し続けたそうなんです。
するとその先生が、いきなり机をボンッッッッ!!って叩いて
「ワクワクするかどうかって聞いてんだよぉ!!!」
ってかなり大きいボリュームで言ったそうなんです。笑
おそらくその先生を知らない読者の皆さんからすればあまり伝わらないかもしれないんですが、その言い方と声のボリュームと机を叩くのと、言葉のチョイスと全く怒らない気質などあらゆる要素が確率的にレアすぎて、その先生を知る生徒の一部の間では爆笑ネタで伝説となっています。
常に俯瞰して考え、すごく理性的でいつも落ち着いているように見える先生でも、物事のきっかけはワクワクを基準に考えるんだなぁって、当たり前の事ですが、僕にとっては新鮮な発見でした。
単純に人に何かをさせられている状態と自分から望んでそれをしたいっていう状態では気持ちの軽さや時間の流れる早さ、幸福感が全く違いますからね。
シンプルに受け身ではなく主体的に
その際のパラメーターとなるのがワクワク感です。
人って多分理性で何が楽しいかを考えるより、直感と体感で何が楽しいかを感じる方がより正確だと思うんです、意外と。
そういう意味では常にワクワクしていたいなって思うのですが、ワクワクするとはどういうことか最近ぼーっとした時に考えるトピックでした。
ワクワクするには自分のことを顧みればわかるんじゃないかってことで、少しばかり自分の話をさせてください。笑
ってことで最初に僕の性格を考えると、3つくらい大きな特徴があります。
まず一つ目は、正義感がある?ってことですかね。
例えば僕はゲームオブスローンズの大ファンなんですが、一番好きな男性キャラクターはJon Snowなんですね。(女性はいうまでもなくAryaです)。
父親のエダード・スターク譲りの正義感と優しさのあるJon Snowですが、そんな彼を見ていると僕も正義感と優しさは常に持ち続けていたいなぁなんて思ってしまいます。
そんな彼を好きになったのも、運命に翻弄されながらも強い正義感と優しさを持ち続けていたからで、それが元に強い絆で結ばれた仲間や信頼を獲得していきます。
ゲームオブスローンズファンにしかこれは伝わらないと思うので、別の話に移しますね。笑
9月上旬に観光で10日間ほどイランに滞在したんですが、
そこで出会った友達の話を聞いていくと、やっぱり政教一致で表現の自由や、信教の自由がなく、また国際的にも経済制裁の影響で通過が大暴落し経済がダメージを受けていて、失業率が高く物理的にも精神的にも非常に苦しい状況なんですね。
'Only way to express yourself is to get out of this country'って言われた時はとても胸に刺さり、その言葉は端的に国内情勢を表していると思います。
制度や国家の意思決定が人を苦しませて、将来に活路や希望を見出せない人々が大勢いる状況をまざまざと見て胸が痛くなりました。
マイナスイメージが先行しましたが、そうはいってもイランはペルシア建築や芸術、またペルシア帝国の歴史などからもわかるようにとても芸術的で、また国民性にしてもおそらく世界一観光客に優しく明るく陽気でとても魅力的で大好きな国です。
中東といえば砂漠のイメージがありますが、北部はカスピ海や山脈があり緑も多く四季がある国なんですよ。
テロ支援国家や核兵器を製造しているなど、対外的に作り上げられるイメージとは正反対でイランの人はとてもハートフルで人間的な魅力のある方達ばかりでした。
やはりそういう意味でもイラン政権・政府や、国家制度、国際情勢の中で各国が下す意思決定によって目の前の1人が影響を受け苦しんでいる姿は正義とは言えません。
政治家の人たちは彼らの意思決定が影響する”1人”の顔をイメージして物事を決めているのか、はたまたシミュレーションゲームのように論理と利得を元に淡々とゲームを展開しているのか、みたいなことを考えてしまいます。笑
また、今週イランの南西部のアフワズ市の軍事パレード中にはテロ襲撃があり、民間のジャーナリストや子ども、女性などを含む29人もの人が亡くなりました。。。
改めて亡くなられた方の御冥福をお祈りします。
少し重たい話になってきましたが、こういう事件や社会情勢を見ると、なぜこのようなことが起こってしまっているのか、自分はどうするべきなのか、どうすれば現状を打開しより良い世界にしていけるのか、無力ですが考えられずにはいられません。
賢くても正義感がなくては、人を誤った道に導きかねないし、正義感だけでも不十分です。
ただ、苦しんでいる人がいれば彼らに想いを馳せ、苦しみや悲しみを生み出す仕組み、制度、状況を少しでも改善できるように力をつけたいと強く思っています。
一個だけで少し長くなりましたが、二つ目は端的に行きます。
正義感に関連しています。
Jon Snowの話でも少し触れましたが、優しさですね。
僕自身、理性的というよりかは情緒的で感情的な人間、かつ人の反応にも結構敏感で、繊細な面があると思っています。
だからこそ、自分の弱さを自覚しますし、同じ弱い立場の人に共感できると勝手ながらにそう思っております。
たとえ強い立場になったとしても(立場なんて相対的なものですが)、優しさと自分の中にある弱さは大切にしていきたいですね。
ラストは、自分の中にある要素ではないんですけど、(性格とか特徴じゃないじゃないかってツッコミは却下します)、志を共にする仲間が欲しいってことですかね。
やはり、自分1人の時間も大切ですが(一人の時間はかなり好きです)、1人でい続けるのにも限界があります。共に何かに向かって走る、強い何かに突き動かされる、その何かを共有する仲間と共に動き続けたいなんて思ったりします。
この正義感、優しさ、仲間、これを軸に何かする時はワクワクしますし、その先にあるものに向かって強く走り出す原動力になりうるのではないかと思います。
現在僕は今何かとトレンドの機械学習を勉強していますが、将来的にはデータサイエンティストとして、データを元に客観的に物事の本質を捉え、客観的に意思決定できるように頑張っていきたいです。
レコメンドシステムや異常検知、クラスタリングや需要予測など、今は商用としての機械学習の利用が進んでいますが、パブリックセクターでのデータ利活用こそ今後大事になってくるんではないだろうかと漠然と感じています。
保健衛生、貧困、教育など物事の原因を突き止め、どのように政策に落とし込んで解決していくか必ずデータの力が必要ですからね。
これからどんな道を歩んでいくのかはわかりません。だけど自分の持つ特徴を大切にして、毎日毎日自分の歩みを進めていきたいです。
本当の意味での最上級のワクワクを追い求めて、今できるワクワクを毎日探し求めていきたいと思います。
第二次世界大戦時にAIが戦争終結を早めた?〜映画『リミテーション・ゲーム』の実話〜
第二次世界大戦時にAIが戦争終結を早めた?〜映画『リミテーション・ゲーム』から見る数学者の実話〜
明日は履修している政治理論のエッセイの提出期限ですが、自分の中でベスト10に入る映画をレビューしようと思います。笑
リミテーション・ゲームとは2014年に公開されたある天才数学者の実話です。
国家情報機関で過去50年間はトップシークレットだったため、主人公アラン・チューリングが生誕100周年を迎えて、最近やっと公になり、映画化されました。
ーーーーーーーーーーー以下ネタバレ含みます。(映画を見た方、もしくはネタバレを含んでいても構わない方は見てください)ーーーーーーーーーーー
第二次世界大戦時は味方同士で通信する際、暗号化することが基本でした。
しかし、その暗号も簡単に敵に解読されては意味がありません。ドイツ軍が開発した「エニグマ」から毎日生成される天文学的とも言える数の中からただ一つの暗号を解読するマシンを作ろうと、アランをはじめとする天才暗号解読者たちが苦心し、開発に従事します。
毎日暗号を解読することでドイツ軍との世界大戦を早期終結させるというコンテンツですが、その過程で多くの哲学的問いが詰まった映画でした。
個人的にはアランの"普通でない"特性と彼が生きた時代背景を想像すると、いかにアランが孤独で苦しかったかが容易に想像できます。
そんな一人の苦しみを追体験し、数学者の感性を知れるのは、ビューティフルマインドと、ラマヌジャンの「奇跡がくれた数式」とこの映画だけだと思っています。それぐらい希少価値が高い。個人的には人工知能や機械学習、コンピューターを日常的に使う全ての人、(もはや全ての人ですね。笑)に見てもらいたいです。
以下コンテンツに関する私の個人的な感想です。
ーーーーーーーーネタバレ含みますーーーーーーーー
アランをはじめとする天才暗号解読者たちは、ドイツ軍が毎日編み出す暗号を解読する「コンピューター」の元祖とも言われるマシンを作ろうと苦心しますが、一度開発すると、「それをいかに使うか」と言う問いに変わっていきます。
最初からすぐにそのマシンを使えば、ドイツ軍は暗号が解読されたとして新たな暗号を作るシステムを構築し、結果それまで解読マシンに費やしてきた長い年月が無駄になってしまいます。
そこで彼らは最小のコストで最大の成果があげれる作戦を統計的に解析していきます。つまりドイツ軍がいつどこを攻撃するかというすべての情報の中から、本当に力を入れるべき戦いだけをピックアップし、彼らの暗号システムがドイツ軍に解読されたと知られずに戦争終結に導こうというのです。
これは、ハーバード大学のMichel Sandel教授の"What is the right thing to do?"と言う授業の冒頭で問われる有名な哲学的問い「ブレーキ不能となったトロッコを運転するあなたは、この先二つの線路でそれぞれ働く1人と5人の労働者のどちらかを引き殺さないといけない」とほぼ同じ展開です。
明日助けられる人たちを見捨て、戦争の勝利のために注力すべき戦いで勝つ。それで戦争を終結する。
映画の中では、同じエニグマを解析するチームのメンバーの家族が乗る民間船が明日攻撃されるとわかっているのにもかかわらず見捨てられるシーンもありました。
命の重さを単に最終的な犠牲者数や数のみで比べることなど到底出来ないですが、功利主義的な観点で戦争を捉えるとそれが合理的な選択であることも否定はできません。
その結果は、みなさんのご周知の通りナチスが破れ戦争が終結しますが、そのことは同時に彼らの研究の終わりと、極秘任務であるためにその研究過程や研究結果を全て燃やすことを意味します。
しかも当時はLBGTが法律違反で投獄される時代で、アランは同性愛者であったために有罪判決を下されてしまいます。
彼は服役をま逃れるために、ホルモン投与して性的嗜好を変える選択をしますが、1年後に自殺未遂してしまいます。
今の時代を考えると、イノベーティブな研究をオープンに促進していきたかった研究者や、LGBTなどのマイノリティはすごく苦しかった時代だったと思います。
研究が軍事のために活用される。それはその国の国益のためだけで、一切外部に漏れない。
同性愛が認められず、自分が普通でないと孤独に陥る。
イノベーションとマイノリティが時代に認められず、その両方に属するアランは非常に苦しんだと思います。
コンピューターの基礎や、人工知能の概念を築いたアランが、もし時代に受け入れられ、真に世界から必要とされていれば、今のITの中心地はシリコンバレーではなく、イギリスがITの"City"にもなっていたことでしょう。
また個人的に、私自身は機械学習エンジニアになるために日々勉強する一介の学生ですが、コンピューターがない時代から人工知能の概念を用い戦争早期終結に貢献するシーンには大きく興奮しました。(暗号で毎日使われている言葉を予測する、統計的に解析し最小の労力で最大の効果を発揮するオペレーションズリサーチなど)
最近はシリコンバレーの企業やイーロンマスクがAIによる自律的殺人兵器の非開発の誓約書に署名しましたが、本当に技術が軍事ではなく、純粋に人類の平和と幸福のために活用されていくことを願ってやみません。